「私的モノクロ写真考-1」

 

 小学校6年の時、写真好きな先生とカメラを持った同級生がいて、我が家の

 押し入れでフィルムの現像をしたことがある。私は勿論カメラなど買っては

 もらえなかった。プリントはスリガラス付の箱に電球をともし、息を殺して

 一枚づつやいた(当時プリントすることを焼き付けると言っていた)。

 これが私の白黒写真の入門だった。その後50年ほどの長いブランクだった。

 子育てと生きていくだけで精一杯の毎日だった。実に嘆かわしい質素な

 生活を余儀なくされた。しかし、今になって戦後の荒んだ生活、世界に

 追いつけ追い越せの思想、日本人の勤勉さなどを体験し、人間の誠を

 学んだと思う。これは、自分から進んで体験できるものではない。

 私の作品には、それらの体験を出来るだけ表に出し、古き良き昭和を前面に

 出し、観る人にノスタルジーを感じてもらうよう撮影しているつもりだ。

 平成の世になって、鮮やかな色彩のまま残っている物は、恐らくないだろう。

 脂ぎったもの、すすけたもの、擦り切れたもの、ほとんど壊れてしまったもの

 など、まともに残ったものは殆どない。残されたものは観光目的と町興しの

 ために再開発された建物や、その中に展示された農具だけではないだろうか。

 幸い、私の住んでいるみちのく東北、仙台周辺には懐かしい昭和の温もりが

 まだほんの少し残っている。こんな昭和の名残と自分史を重ね合わせ、生きた

 証としたいものだ。

 

                               2018年6月

 

              公益社団法人 日本写真協会 会員 笹﨑 正明