「道楽写真家の独り言-1」

 

 写真を撮り続けて、はやいもので21年になる。写真の事は何の知識もなく

ただやみくもにシャッターを押し続けた。

随分写真機メーカーやフィルムメーカーに奉仕したものだ。

42歳の厄年を迎え、歳をとったら何をしようかと考えていた時,年寄りの道楽として

「盆栽」をやってみようと思うようになった。たまたま、義父が山取盆栽に夢中で執拗に勧められた。

 

今思えば自然破壊そのものである。山取りした盆栽擬きが全て根付くことは決してない。

ごく一部が盆栽らしくなるだけである。

根付いたとしても盆栽になるのは、限られたごく一部に過ぎない。多分持ち主本人が死んでも

完成はしないだろう。

長い年月とその樹に適した最適の手入れが絶対必要である。

その挙句、生き続けている物すべてがそうであるように、日々成長しつづけ、形を変えている。

手入れをし、着飾って展示した瞬間がその樹の晴れ姿で、その日を境にどんどん姿を変え普通の

鉢植えとなってしまう。通常は、それの繰り返しである。

 

展示することが出来た樹は幸せな方だったのだろう。他に残された大部分は狭い鉢に入れられ

窮屈な毎日を送っているのだ。殆ど日の目を見ることはない。

水やりなど世話をしている持ち主は、どんどん歳をとってしまう。大型盆栽にいたっては

重くて動かすこともできなくなり持て余してしまう。

毎日の水やりなどの世話もままならず、樹はどんどん弱って、やっと生きているだけとなる。

 

街に住んでいると狭い土地にこれ等の衰弱した盆栽と鉢物で歩くところも無くなり家族からの

苦情も日々荒くなり、やっと衰弱した盆栽を処分しようと決心するのだ。

処分を決心はしたものの、一鉢ごとに愛着が残り簡単には手放せない日々が続くのだ。

その間も、盆栽から鉢物に変わった樹々は、どんどん衰弱していき、唯々生きているだけとなり

遂にお別れの日が刻々近づいてくる。

 

  一昨年6月に入り、我が家の庭も熱くジメジメとなり、いよいよ引き取り先を探すことになった。

思い切って近くの盆栽店を訪ね、世話が難しくなった旨を伝え、全てを引き取ってもらった。

盆栽と写真を両立させることは難しかったのだ。

手放すまで約30年、前半はかなり夢中になって世話もし、成長記録も残した。

成長記録を残す手段として、昔買ったレンジファインダー式のオリンパスのハーフサイズの

写真機を使った。

 

 

 

撮っては見たものの、かなりの接写での撮影のため盆栽の頭が写ってなかったり、

肝心の立ち上がりの根部分が切れていたりの連続で情けない状態が続き、見かねた女房に

カメラの勉強を勧められた。これが写真の道に踏み込んだきっかけだった。

それから、暫くして「一眼レフならいいだろう」ぐらいの軽い気持ちで買い求め

いよいよ写真の道に一歩踏み入ることになった。

 

その当時は、愛好家はネガカラーが主流で自分としては満足していた。ある時女房に

「写真教室に通い、もっと写真の勉強したほうがいいよ」といわれた。

後で考えると、老後のぬれ落ち葉を避けるため、夢中になる趣味を持たせようと

したのだ。お陰で私は、飽きることなく写真にのめり込んでいった。

 

近くで年度初めから始まる教室があることを知り早速申し込んだ。これが私の単純な

写真人生への動機と入門経過である。

深く考えることもなく、「ただ趣味で写真を撮り続け楽しめばいい」それ以外には

私には何も見えてこなかった.まさに不純な動機からのスタートだったのだ。

 

その年の春、初めて写真教室に足を踏み入れてビックリした。教室では、基礎からの

学習に始まり、後半は生徒の撮影した作品をスライドでスクリーンに映しだされるのである。

その後、講師の講評で終了となる。ここで一年間基礎を学んだ。

 

 私にとっては、見たことのない鮮やかな色彩と描写にみえた。

その時、ポジフィルムに初めてお目にかかったのである。私のネガフィルムとは

まるで違って見えたのだ。

当時、ハイアマチアを目指す方たちは、全てポジフィルム使って勉強していた時代だった。

 

このフィルムは、コントラストが強く、ネガフィルムのようにプリント時の修正・露出

補正が難しいので、撮影時の露出が非常に大事なため段階露出などをして対応したものだ。

構図を決めシャッターを切ったら、後は全て他人任せが主流だったのである。

 

 写真を始めて5年ぐらいたったとき、某美術団体コンテストに入選し、その写真展があり

その夜の懇親会に招待された。

その時、私の席の前に突然3人の絵かきさんが並んで座った。何だろうと思っていたら

「初応募、初入選おめでとう。ところで、シャッターを切るだけで、後は他人任せの写真は

芸術といえるか?」と執拗に問われた。

写真は、「瞬間藝術だと思う」と答えたが、彼等は納得しなかった。

それから暫く悩み始めることになってしまうのである。暇があれば悩み続けた。

 

 

 私は、2000年からデジタル写真を始めてたので、「これを使い絵画に限りなく近づく

ことはできないか」と考えるようになった。

当初のカメラは、今思えばおもちゃ同然で、相手にされない電気写真だったと思う。

「あんなもので撮った写真は写真ではない」と何度も馬鹿にされた時代が少し続く。

 

何年かして、フォトショップの加工で何とかなると思いカメラ、プリンター、ソフト

及びパソコンを徐々に買い替えし、写真加工を始めることにした。

勿論、デジタルカメラを使って本格的に撮影している人はいなかった。ましてや

フォトショップの使い方を教えてくれる人などいるわけもない。

 

毎日毎日パソコンとにらめっこ。カタカナ文字が羅列されたテキストと向き合いながら

の格闘が始まる。

指は固まって動かなくなり、目はドライアイになり近眼の度が進んでくる。

特に好んで作ったのが合成写真だった。私は、人が追いかけてくる前にこれらを

発表しようと思い、合成写真だけの写真展を仙台で4回目の個展として発表にこぎつけた。

地元の新聞社も駆けつけインタビューを記事に載せてもらうことが出来た。

 

そのころから、周りの写真の先輩たちが、ようやくデジタル写真を認め始め、こそこそと

メーカーのデジタルカメラ講習会に通い始めたのだった。

私の展示した合成写真も、その後仙台市内二か所のラボ展示場に巡回展示された。

このころはアナログ写真からデジタル写真への過渡期でデジタル写真のプリントを

手がけないとラボとしての存続が難しくなってきた時期だった。

大きなラボは競ってデジタル客を探していて、私の合成写真を利用したのだった。

 

 その後、二年ほどで写真業界は大きく変わってしまった。

町の中のミニラボは殆ど廃業し、消えてしまった。恐ろしい時代だった。

カメラ業界はアナログからデジタルへ大きく舵を切ったのだ。

またデジタルに乗り遅れたカメラメーカーも次々と消えていった。

それから先は、老いも若きも、男も女もデジタル写真一色の時代に突入し、

特に女性の進出は目をみはるばかりである。

 

昨今のカメラは、カメラを向けてシャッターを押せば、それなりの写真が撮れてしまうから

驚きである。技術は殆ど不必要のようだ。

そのうえ、携帯やスマホなどで簡単に、それなりの写真を撮ることが出来るような時代に

なってきた。

 ここでまた不都合が起きた。あまりにもカメラが普及したために、カメラが売れなくなってきたのだ。

 

 

                                                      

そのため、カメラメーカーの営業所、展示場が市内から消えてなくなってしまいつつある。

加えてカメラ修理やメンテナンスも不自由になってきた。

今では、カメラ業界は斜陽化しているといわれている。フィルムメーカーもフィルム印画紙などから

撤退をはじめている。

いいニュースは何もなくなってきた感がする。これでいいんだろうか。

 

 私は、いつも人の真似はしたくないと思って今まで写真を撮ってきた。

デジタルが出てきた時も、いち早くデジタルを手掛け、デジタルが中心になった時も、皆がやらなくなった

アナログ白黒写真を中心に発表している。

 

電気写真と化学写真の質の違いだけでなく、より手をかけた作品を観てもらいたいからだ。

撮影者自身が現像し、自分のイメージとテクニックを駆使してプリントし、作品を作り出す作業が

私の性に合っているいるようにも思える。

これもまた、別な意味で絵画に近づけたのではないだろうか。

 

カラー写真は、事象をすべて見せるが、白黒写真は白と黒の諧調で形だけを表すので、鑑賞する人は

自分の生い立ちや、生活環境、経験など加味し色付けしてみている。

そういう意味で私は、カラー写真は、こう見てくれと押し付ける「押しつけ型」、白黒写真は、写真を

自分で考え、想像する「参加型」写真だと思っている。

 

個展を続けていると、観に来こられた方々が私の作品の中へ溶け込んでくるのを感じとることができる。

何時も、きれい、美しい、上手だけが写真ではないと思っている。

被写体が私に何かを訴えているのだ。それ故に、私はその被写体にカメラを向ける。

そして訴えていることを自分の人生経験や生い立ちから感じ取ったものを、カメラを通して撮らせて

もらっている。作品を観られる方々は、同じように自分の経験などを通して理解しているようだ。

 

そんな白黒写真を残された時間すべて使って追及していこうと思っている。

また、10年ぐらい前から始めたピンホール写真、5年ぐらい前から始めた赤外線写真を

大型カメラと中型カメラで、そしてオーソドックな白黒写真を中型カメラと小型カメラで撮影し

被写体の内面をも写し撮ることができたら幸いである

                                          2018年5月 

                 

                          公益社団法人 日本写真協会 会員 笹﨑正明